受難節第1主日礼拝

2022年36日(日)主日礼拝

  • 世界の平和を覚えてお祈りください。

  • 来会の際、マスクの着用、手指の消毒、検温などの対策にご協力お願いいたします。

  • Youtubeにてライブ配信は継続して行います。どこにあっても礼拝をささげることができ、その場に主がおられることを心に留め、今は自分と隣人の「命」を守ることを最優先にしていただきたく思います。皆様のご協力をお願いいたします。皆さまの歩みの上に、聖霊の豊かなお導きと慰めがありますように。


◎説教「荒れ野に追い出されたイエス」(マルコによる福音書・11215

 本日の聖書の出来事は、ヨハネ福音書を除いた他の福音書全てに記されている。興味深いのは、同じ出来事にも関わらず表現が異なる点だ。

 1つはマタイとルカの主語は「イエス」だが、マルコは「聖霊」であること。もう1つはマタイとルカは、イエスが荒れ野に行く際、「導かれる」という意味を持つ「ἀνάγωアナゴー」と「ἄγωアゴー」を使っているが、マルコは「追い出す」という意味を持つ「ἐκβάλλωエックバロー」が使われている。つまり、マタイとルカでは「イエスは聖霊の導きによって荒れ野に行かれた」が、マルコでは「聖霊がイエスを荒れ野に追い出した」になる。

 この観点からマルコの記事を読んでみると創世記の楽園追放が思い浮ぶ。二つの物語には「荒れ野」、「追放」、「誘惑」という共通点が存在する。アダムとエバは蛇の誘惑に負けて荒れ野に追い出され、原罪の源になった。一方、イエスは荒れ野に追い出され誘惑を受けるが、試練に打ち勝ち、全ての者の罪を贖う救い主として歩み始めていく。

マルコが伝えたかったのは、イエスこそがメシア(キリスト)であり、過越祭の子羊であることであろう。


 

#日本キリスト教団石橋教会#UCCJ

#日本キリスト教団 #受難節

#ライブ配信#池田市 #阪急石橋駅