◎2021年10月10日(日)主日礼拝
◎下記の課題を覚えてお祈りください。
神学校を覚えて。
世界に派遣されている宣教師を覚えて。
自由を求めて戦う人々の上に主の救いがありますように。
医療従事者・関係者の方々、生きづらさを抱えている方々の上に主の助けと慰めがありますように。
本日は神学校日・誕生者祝福礼拝として、教団の神学校関係の神学校(関西学院大学神学部、東京神学大学、東京聖書学校、同志社大学神学部、日本聖書神学校(JBS)、農村伝道神学校)と10月にお生まれになった方々を覚えて主日礼拝を守ることができました。
本日より主日礼拝より会衆礼拝を再開いたしました。その他の諸集会(CS礼拝、聖書に学び祈る会は実施)は、当面休会といたします。来会の際、マスクの着用、手指の消毒、検温などの対策にご協力お願いいたします。
Youtubeにてライブ配信は継続して行います。どこにあっても礼拝をささげることができ、その場に主がおられることを心に留め、今は自分と隣人の「命」を守ることを最優先にしていただきたく思います。皆様のご協力をお願いいたします。皆さまの歩みの上に、聖霊の豊かなお導きと慰めがありますように。
◎説教メモ「みんなが担う」使徒言行録・6:1〜7、金 鍾圭牧師
教会の本質は何であろうか。教会は何故存在しているのか。それはキリストが示された「命じておいたことをすべて守る」ためである。
イエスがこの世に来られたのは「仕えられるためではなく仕えるため」だと言われた。そのイエスがわたしたちに命じている。つまりわたしたちは仕える人生を歩まなければならない。「仕える」(διακονέω)という言葉は本日の聖書箇所の「配分、救済」(διακονια、1節)と「奉仕」(διακονια、4節)と関係がある。
使徒であろうが、選ばれた七人であろうが、彼らの働きに違いはない。キリストがわたしたちに教えてくださったすべてのことをこの世に行うことだ。誰かに負わせることではなく、みんながそれぞれの場でキリストの教えを担うこと。これこそが教会の本質であり、存在の目的である。
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