聖霊降臨節第主日礼拝

◎2021年6月20(日)主日礼拝


緊急事態宣言の状況の中、石橋教会は無会衆礼拝として主日礼拝を守っております。(Youtubeにてライブ配信は継続して行います。)共に顔と顔を合わせて礼拝することはできませんが、どこにあっても礼拝をささげることができ、その場に主がおられることを心に留め、今は自分と隣人の「命」を守ることを最優先にしていただきたく思います。皆様のご協力をお願いいたします。皆さまの歩みの上に、聖霊の豊かなお導きと慰めがありますように。

新型コロナウィルス感染拡大防止のために最前線で働いている医療従事者・関係者の方々、生きづらさを抱えている方々の上に、主の助けと慰めがありましようお祈りいたします。



◎説教メモ「光の戦士」フィリピの信徒への手紙2:12~18、金 鍾圭牧師


  小説『塩狩峠』がキリスト教の自己犠牲を的確に表現し広めたことは言うまでもない。キリスト者が他者のために在ろうとするのは、イエスがそのように生きたからだ。惜しみなくささげた方によってわたしたちは救われた。ここに福音の原点を見ている。

 同時に、わたしたちは神からすべてを与えられているとの視点を見落としてはいけない。自分のものを他者に施すのではない。受けている恵みを分ち合うのだ。神に仕える生き方の現れこそ「ささげる」なのだと思う。

 パウロはコリントの教会にそのような姿勢を問いただした。マケドニアの諸教会が示した豊かな働きを紹介しつつ、コリント教会にも勧める。経済・物質・地位の貧しさは、世俗的には価値がない。けれどもイエスがそれらの貧しさ(十字架)によって、私たちは豊か(救い)になった。これが恵みだとパウロは語る。

 キリスト教が示す「自分をささげる」とは、人助けや善行のことではない。生き方そのものの問題だ。イエスによって豊かにされた私たちは、それにどのように応えていこうか。


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