降誕前第主日収穫感謝礼拝

◎2021年11月21日(日)主日礼拝


  • 本日は収穫感謝礼拝として、子どもと大人が共に「収穫感謝」礼拝を守ることができました。今年も新型コロナ感染症拡大の予防のため、果物や野菜を飾らず、CSの子どもたちと有志が作って下さったものを飾り礼拝を守りました。普段は皆様からいただいたお捧げ物(果物・野菜)を隣の施設へお送りしましたが、今年も保存食品を皆様からいただき、関西フードバンクへお送りします。

  • 次週はアドヴェントです。主イエス・キリストの誕生を思いながら歩みたいです。その意味で、礼拝後クリスマス飾り付けを行いました。ありがとうございました。

  • 主日礼拝以外の諸集会(CS礼拝、聖書に学び祈る会、オリーブ会は実施)は、当面休会といたします。来会の際、マスクの着用、手指の消毒、検温などの対策にご協力お願いいたします。

  • Youtubeにてライブ配信は継続して行います。どこにあっても礼拝をささげることができ、その場に主がおられることを心に留め、今は自分と隣人の「命」を守ることを最優先にしていただきたく思います。皆様のご協力をお願いいたします。皆さまの歩みの上に、聖霊の豊かなお導きと慰めがありますように。


◎説教「感謝していただきます」(フィリピの信徒への手紙・4:10~13

  日本語の食前後の挨拶は世界でも類を見ないものとされる。食材の命に対し感謝の念を表すかたちで自らをへりくだらせて食べるという行動にいたる。もとをたどれば、全てのものに神が宿るとの考えから出てきた風習とも言われている。

 一方、キリスト教の食前の感謝の祈りは、神が与え給うものへの感謝を表す。全ての物が、神から出たものだという創造主と被造物の関係を軸に考えているからだ。

 神を軸にした生き方は、収穫感謝の発祥にも見てとれる。私たちは神が与え、整え、備えてくださる1つ1つの事柄の中で生きている。感謝は事足りていることに気づかなければ成り立たない。

 手紙の文脈は贈り物に対する感謝を述べているが、そこで語られるのは自分の置かれた状況に満足するという姿勢だ。だが注意したいのは、これを他者に向かって言うべきことではない。感謝を強いるのは訳が違う。神を中心とした軸の中で生きる時、自ずとへりくだって感謝と満足を覚えることができるのではないだろうか。



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