聖霊降臨節第18主日恵老祝福礼拝

◎2021年9月19日(日)主日礼拝


◎下記の課題を覚えてお祈りください。

  • 自由を求めて戦う人々の上に主の救いがありますように。

  • 自然災害地・被災地の方々の上に主の豊かな平安と慰めがありますように。

  • 医療従事者・関係者の方々、生きづらさを抱えている方々の上に主の助けと慰めがありますように。


敬老の日を迎えるにあたって本日は恵老祝福礼拝として主日礼拝を守ることができました。石橋教会は近年から「敬老祝福礼拝」を「恵老祝福礼拝」として守っています。歳を重ねることは「神さまからの恵み」であるからです。高齢の方々の上に主の豊かな恵みとお導きがありますように。また、お健康が守られますよう祈ります。

主日礼拝、無会衆礼拝として行っております。Youtubeにてライブ配信は継続して行います。どこにあっても礼拝をささげることができ、その場に主がおられることを心に留め、今は自分と隣人の「命」を守ることを最優先にしていただきたく思います。皆様のご協力をお願いいたします。皆さまの歩みの上に、聖霊の豊かなお導きと慰めがありますように。



◎説教メモ「わきまえる」エフェソの信徒への手紙・515仲程愛美牧師


 校則の見直しが取り沙汰されるようになり、こんなことまで、と驚くような規則が存在していたことが浮き彫りになった。本来ルールとは人を縛るものではなく、守るものであるはずなのだが、「べからず」が先行し禁止事項のオンパレードになってしまう。

 聖書における十戒も同様なことが指摘されている。翻訳上「してはならない」との表現になっているが、意味合いとしては「知っているでしょ?」に近いとか。神は民に向かって「わたしを神として生きていく方法は心得ているでしょ」と確認をしているのだ。

 パウロが手紙で語る前提には「あなたたちは神に愛されている子供ですから」がある。すでにイエスと出会い、その中で生きる者たちにとやかく言う必要はない。けれどもあえて触れておく。そうした信頼の中で語られる、励ましのメッセージがここにはある。「この事をよく確かめてわきまえているはずだから」あなたがたは出来る。イエスが共にいる。そのことをわきまえているだけで十分なのだ。



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