聖霊降臨節第10主日礼拝

◎2021年7月25日(日)主日礼拝


本日も主日礼拝が守られ感謝です。自然災害の被災地の方々、世界各国にて自由と平和のために戦っている方々の上に、主の豊かなお導きとお慰めがありますようお祈りいたします。

まん延防止等重点措置の状況の中、石橋教会は無会衆礼拝として主日礼拝を守っておりましたが、(Youtubeにてライブ配信は継続して行います。)本日より主日礼拝より会衆礼拝を再開いたしました。今後、無会衆礼拝は「緊急事態宣言」が発令される場合のみ行います。その他の諸集会(CS礼拝、聖書に学び祈る会はZoomにて実施)は、当面休会といたします。来会の際、マスクの着用、手指の消毒、検温などの対策にご協力お願いいたします。

どこにあっても礼拝をささげることができ、その場に主がおられることを心に留め、今は自分と隣人の「命」を守ることを最優先にしていただきたく思います。皆様のご協力をお願いいたします。皆さまの歩みの上に、聖霊の豊かなお導きと慰めがありますように。

新型コロナウイルス感染拡大防止のために最前線で働いている医療従事者・関係者の方々、生きづらさを抱えている方々の上に、主の助けと慰めがありましようお祈りいたします。



◎説教メモ「憐れみの意味マタイの信徒への手紙9:9〜13仲程愛美牧師


イエスは当時の社会から追いやられた人々を訪ねた。その行動は周囲を驚かせ、理解に苦しむことでもあった。しかしイエスにとってこれらの言動は自然なこと、必要なことだった。「わたしが来たのは罪人を招くためだ」とご自身を語られるように、社会の仕組みから外れた、外された人々と共に歩み続けた。

 憐れみは神の本質を表す事柄の1つだ。神に背く者たちを深い憐れみをもってゆるされる。人間を救われるという神の愛が表されているのが憐れみだ。イエスはそれを体現し歩まれた。自分の存在を否定され続けた人々に出会いその人生を救われた。

 力や権力、数の多さで誰かを虐げ、「罪人」を作りたがる社会は現代も続いている。昨今はたった一度の過ちに厳しい社会だ。もちろん、間違いは間違いで正されるべきだ、しかしそれは神の正義にあってだ。だからこそ、イエスは「罪人」を招くことで、本当の救いを私たちに示してくださっている。



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